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2009年12月14日 (月)

12月14日夜、討ち入り、赤穂浪士が教えてくれること…

元禄十五年十二月十四日は赤穂浪士四十七士の討ち入りがあった日だった。

今から三百数年前の話である。

主君浅野内匠頭の無念を晴らす為に赤穂藩の武士が結集して吉良上野介に仇討ちをしたという事件だ。仇討ちがまだ美談として語られた頃の話である。
仇討ちを遂げた武士達の一部を除いた全ての武士は、日時をずらして切腹をし、その仇討ちの終焉を遂げたのだった。

この季節になると、メディアの何処かで必ずこの赤穂浪士に因んだ映画や舞台などが行われている。日本人のように義の道を大事にする民族には考えたり感じたりするのに格好の歴史的事件だったといえよう。

仇討ちなるものは決して赦されない時代ではあるが、親しい人の無念や自分自身の無念を晴らす為に様々なリベンジを企てる事も少なくないのではないだろうか?
相手を見返す、相手をアッと言わせる、相手を唸らせる、というのも一つのリベンジであり、復讐すなわち敵討ちなのであろう。
ましては親しい人が例えば死に至らされた場合(勿論これは犯罪であるから法が裁くのだが)その家族や死に至らされた側の人々が法廷で争ってできるだけ重い求刑を勝ち取ろうとするのが世の常である。

怨み憎しみといった人間にはつきものの感情は理性で解決する事がとても困難なものである。テロリストの犯罪に対して報復するアメリカのアラブ諸国への軍事行為もその一つであるが、結局はそのターゲットがはっきりと一つに絞られていない為に、その報復の終焉を迎える事がとても困難で多くの時を要すうちに、双方の報復の連鎖から抜けられなくなってしまうのだ。

赤穂浪士のように、ターゲットは吉良上野介一人、綿密で周到な計画とその確実なる実行、そしてその完成によって、本意を遂げ、その後に、赦されない仇討ちという報復の為の行動の責任を全員自害という顛末で、この浅野家吉良家両家の憎しみや怨みの連鎖を未来永劫に絶った事が後世に語り継がれて歴史的な美談として存在し得たのだと思うのだ。

シェークスピアの作品だが、「ロミオとジュリエット」でもモンタギュー家とキャピュレット家の永きに渡る争いが、ロミオとジュリエットという赦されない家柄の恋人同士の二人の死によってその確執がやがて解けて行くことになったのだった。
憎しみの連鎖を防ぐ為にはどうすべきかを考える。それは先人達の貴重な教訓の中から学ぶべき点が沢山隠されているような気がする。

年末、師走、討ち入りのこの季節に、今世界が困窮し消耗し人類の不幸の陥穽に陥っている現実に想いを馳せてしまった。

今年もまた、世界中から戦争のない日が一日でも早く来る事を、
世界中の子供達の笑顔を想像しながら願う、クリスマス間近の夜である。

Turee

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