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2010年7月30日 (金)

喧騒な七月の終焉に

豪雨と猛暑の記憶を宿して七月が間もなく終わる。

不安定なねじれを携えた新しい国会が始まった。
国民の為の政治はとても期待できそうにないようだ。

プロ野球は後半戦開始のその日に両リーグ共に首位と二位が入れ替わるという珍事が起きた。
我がドラゴンズも巨人に勝ち越して首位阪神まで三ゲームの所に付けて今日から
「首位決戦 大阪夏の陣」が幕を開ける。

昨日は天下の色男・海老蔵の超ど派手な結婚披露宴のニュースの裏で、国民的アーティスト、サザンオールスターズ・桑田佳祐の食道ガン公表記事が躍っていて、ファンはもとより日本中が何だか朝から夜から大騒ぎであった。

かと思えば、日本で二番目に高齢とされていた、111歳の男性が実は30年程前に亡くなっていて、ミイラになって布団の中に横たわっていたという、
真夏の怪談のような話が報じられた。

とにかく何から何まで日本の夏は大騒ぎなのである。

景気はといえば、政治家が無能無策で一向に回復の兆しもなく、
デフレは長期化して失業者数は全く減らない。今年度も後半戦中盤で果たしてどんな年末になって行くのだろうか?本当に生きる事が困難な世の中になってしまったものだ。

この八月は日本に少しでも希望の光が見える夏であってほしいと願うばかりである。

心まで夏バテして水分が不足してしまっているようだ。

元気な明日が迎えられるように頑張って行こうと思っている。

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2010年7月27日 (火)

暑い熱い夏の闘いは続く

地獄のような暑い夏が続いている日本。
近くのコンビニにちょいと買い物に出掛けて来ただけで、シャワーを浴びた後のように汗はびっしょり、衣類もびっしょり焼けるよりも灼げるといった感触が体感してしまう程だ。

地球温暖化現象故の異常気象なのだろう。
この暑さに熱中症で今年も命を落とされた人々が数え切れない。
病気というよりも最早事故である。
注意を促す情報も数多いが
「まさか自分が・・・」
の現実なのだろうか?
全く減らない「振込み詐欺」の注意喚起の情報と同じ類なのだろう。

猛暑は日本だけでもなく世界的な規模である。
今朝のニュースでは猛暑が原因で大火事になったモスクワの森の話を伝えていた。
モスクワ史上初の37・4度を観測したとのこと。
近々には40度越えも予想されているそうだ。
一年中寒いイメージを持った北の都市での話だからこそインパクトが多い。
果たしていつまでこの狂夏は続くのだろうか?

プロ野球も今日からいよいよ後半戦だ。
前半最後を六連勝で終えた我がドラゴンズも首位ジャイアンツを三ゲーム差に接近して後半戦を迎える。しかも後半最初にジャイアンツ、タイガースとの首位奪取の六連戦での幕開けである。

暑い夏は熱い闘いをいかに演出してくれるのかワクワク楽しみである。

体調不良の井端は再度の抹消なのが唯一の気掛かりであるが、ここは若手・直倫に任せてしっかり体調怪我などを癒して戻ってくることを望みたい所である。

僕にとっても、様々熱い夏の闘いが待っている。気持ちを引き締めてまた一つ頑張って行こうと思っている。

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2010年7月15日 (木)

僕は見た!

◆14日 ナゴヤドーム
●中 日 1-2 東京ヤクルト○
スコア

昨夜は悔しい負け方で連勝を止めてしまった我がドラゴンズ。
敗因は様々だが、それは多くの専門家諸氏にお任せするとして、僕が見た、一つの他愛のない場面を特に今日は書いておきたい。

朝のトーチュウでも一切彼の記事はなかったので敢えて・・・・。

最終回、一死満塁一点アヘッドの一打サヨナラの絶好のチャンスのバッターボックスに、若武者・堂上直倫はいた。先の対ジャイアンツとの第二戦では初めてのヒーローインタビューのお立ち台に立っている。
平日雨天のナイターに集った二万五千余のドラゴンズファンはきっと誰もがジャイアンツ戦のお立ち台の再現を願い予想していたのに違いなかっただろう。
ワンボール・ワンストライクの第三球、必死の形相で投げる球界を代表する守護神、ヤクルト・イムチャンヨンの渾身の内角シュートボールは若武者のバットをへし折り、力のないピッチャーゴロ併殺を演出した。
サヨナラ勝ちどころか一瞬のうちに最悪のゲームセットの溜息がドーム内にどよめいた。その空気の中で、一塁ベースからダッグアウトにうなだれて戻る若武者の頭の中は真っ白どころじゃなかったのでは・・・・。

薄ら笑いを浮かべてベンチの奥に姿を消す落合監督、
ベンチにようやく座った若武者は、大きなタオルで顔を覆って数十秒うなだれたのだった

それはまるで敗戦の責任を一人で背負っているかのような光景だった。
たかが一敗されど一敗、落合はいつも言う。
「失敗したらその失敗をしっかり振り返って忘れないようにちゃんと修正していけばいい」
と。

故障の井端がまもなく戻って来る。すると、この若武者は自分の居場所を自分で探してチームになくてはならない選手になって行かなきゃいけない。そして、与えられるチャンスも研ぎ澄まされた、少ない場面になってくるはずだ。
しかし、僕は敢えて言いたい。
自分の情けない一打で敗れた悔しさを、あんな姿で表した若い選手はかつていただろうか。まるで明日のない敗戦をした高校生のようだった。

堂上直倫は、この悔しい一打を一生忘れないと思う。これから打つであろう殊勲打の何発よりもずっとずっと、このピッチャーゴロ併殺打のことを・・・。

そして、明日のドラゴンズを引っ張って行く大スター選手になって行くことを
確信したワンシーンであった。

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2010年7月13日 (火)

勝者と敗者の分かれ目

10日、演劇界の鬼才、本名・金峰雄こと在日韓国人二世の、つかこうへい氏が六十二歳の若さで逝ってしまった。
三十数年前、つか氏が二十代前半の時、彗星の如く「熱海殺人事件」の作品で演劇界に登場した。
1982年、三十四歳のとき「蒲田行進曲」で直木賞を受賞した。
氏自ら自身の在日二世として日本で生まれ育った数奇な人生への一つの想いから、日韓の文化を通しての交流に尽力を注いだ。数年前、祖国韓国の地で自分の作品を「日本語」での初の「上演」を果たしたのだった。
斬新な作品とユニークな演出で沢山演劇界に財産や遺産を残した類い稀な天才演劇人だった。

今年四月に逝った「井上ひさし」さんに続き、演劇界にとっては非常に大きな損失であるに違いない。

「つかこうへい」のペンネームには、「いつかこうへい(公平)」な世の中がとの想いが込められているのだそうだ。在日二世として日本で生きた人生に於いては、果たして「公平」であったのだろうか?ご冥福を心より祈るばかりだ。

蒸し暑い梅雨季の日本はといえば、不完全燃焼のようだった参議院選挙が終わった。
急激な熱狂を生んだワールドカップが終わった。そして不可解な点を残したまま大相撲名古屋場所が始まった。そんな折、どさくさの中で、我がドラゴンズが宿敵・ジャイアンツに四年ぶりに三連戦三連勝を果たしてしまった。

結局、菅民主党が負けて谷垣自民党が勝った。
でも一番笑ったのは、みんなの党の党首・渡辺喜美だったのでは。
スペインが勝ってオランダが負けた。
でも一番笑ったのは岡田ジャパンとタコのパウロではなかったのでは。
相撲協会は暴力団との腐れ縁に負けて、大関琴光喜は相撲協会に負けた。
勝ったのはすっぱりと実況放送を中止したNHKだったのでは。
落合が勝って原が負けた。
でも一番笑ったのは阪神の真弓なのでは。

人生には勝者がいれば同じ数だけの敗者がいるものだ。
戦いの後、必ず人間の顔の相がはっきりと変わってくるから不思議だ。敗者のそれは戦いの前の人相のかけらもなくなってしまう。まるで別人なのだ。
菅直人総理や武蔵川理事長、原辰徳巨人監督の近々の悪相は敗者の落胆を如実に物語っている。人の顔はきっと嘘がつけないのだろう。心の余裕が生む福相と心の動揺が生み出す悪相の要因には、必ずその分岐点があるものだ。
そこを謙虚に分析総括できさえすれば、その逆転現象が訪れる時も近いはずだ。
所詮、「勝ち」と「負け」は「紙一重」なのだから、勝っても奢らず負けても卑屈にならないことが何よりも肝要なことであると思う。

人の顔を見れば見るほど、様々感じることが多い昨今である。

一昨日亡くなった先述のつかこうへい氏は、勝者だったのだろうか敗者だったのだろうか。
自らの「死」を予測して今年の元旦に書いた「遺言」のようなお別れの文章が発表されている。
「・・・先に逝く者は後に残る人を煩わせてはならない・・・通夜、葬儀、お別れの会等も一切遠慮させて頂きます。・・・娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています。今までの過分なるご厚意、本当にありがとうございます。」
と綴ってあった。

自分の死後をも美しく演出して逝った彼は、
間違いなく「勝者」であったに違いないと思うのだが・・・・・。

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