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2010年12月31日 (金)

2011へと…

まもなく一年が終わる!

ドラゴンズのリーグ優勝、プロスポーツ界におけるアスリートの世代交代が顕著に、不安定な政治の固定化、新卒者の内定率史上最低、母子虐待事件の増大、著名文化人芸能人の数々の逝去、検察の不祥事による司法界への不信感増大などなど、いいことも悪いこともいっぱいあった一年も緩やかな時の流れの中で新年を迎えて行く。

そして、生きる者は確実に齢を一つ数える事になるのだ。

腹八分の満足と腹八分の幸福、
そしてわずかだがはっきりとした心残りがこの晦日の自分の中に存在している。

来年は我がC・オグも満十八歳を数える。人間ならば成人である。

来年のテーマ、キーワードは『成』にしようと思う。
成せば成る一年、成熟した一年、未完成を完成に導くべく一年にしようと考えている。

この拙くも、ある時は饒舌で、ある時は言葉足らずなドラブロを、
時々でも読んで頂けた皆さんに感謝の言葉を贈りたいと思います。
ありがとうございました。

皆様に於きましても輝きに満ちた新たな年を迎えられる事を祈念しながら
今年最後のblogとさせて頂きます。

一年間ありがとうございました!合掌!

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2010年12月22日 (水)

今日は冬至だが…

今年もいよいよカウントダウンが始まった。

今日は冬至だが、18度(東京地方)の気温で冬と呼ぶには温か過ぎる。
北の地方は逆に荒れ模様で相当寒いらしい。
こんなに狭い日本で別々の冬があるようだ。

しかし早い一年だった。
歳を取ったせいもあるかもと思ったりもするが、とにかく目まぐるしい社会の動きで明け暮れた2010であった。不安定な政治が居座ったまま一年が終わりそうだ。

政権交代に期待した多くの国民も、もはや政治不信を極めているはずだ。
権力を取ってそれを維持する事だけが目標化してしまっている政党と政治家群には、殆ど辟易状態である。国民の幸福を追求する政治家はどこかにいないものだろうか?
適当なマニフェストで天下を取った曉に、執る政治手法は詐欺のようだ。
自公時代よりも官僚いいなりの政治のようだし、
対米重視政策が甚だしいのが不思議でならない。
殊に今の自称市民運動出身の総理大臣になってからは、
ますますその色合いを深めてしまった。

解決の糸口すら見せる事が出来ない沖縄普天間問題、
目玉政策の一つの子ども手当も不安定なまま、
何やら来年度には増税の嵐の予感すらしている、とてもきな臭い様相である。
我々国民は自分の眼でよく観察して行かなければ、元々ビジョンを持たないリーダーの下では危なっかしい限りである。
同じ党内での足の引っ張り合いに明け暮れた年末の政局を見せられた国民の中には、新しい年を迎えることすら必死の想いでいる人々も少なくないはずだ。
ホントに空気が読めない政治家の下で迎える2011、
果たして希望の光は見えてくるのだろうか?

例年以上に温かい冬至の今日、
残る十日間で静かにもう一度この一年を振り返ってみる事にしようと思っている。

明日は朝八時半から文化放送で先日収録した、「ラジオCMコンテスト」の放送もある。
ラジオでも聞きながら一年を振り返ってみようかな。

文化放送「100万円争奪!第4回ラジオCMコンテスト」

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2010年12月14日 (火)

プレッシャーの持つ意味

ここに来てスポーツ選手の若年化が目覚ましく映るのは単なる偶然でもないだろう。

年々そのような傾向は見えて来ていたが、
今年ほどその現象が顕著な年もなかったかもしれない。

フィギュアスケートの村上佳菜子は16歳、
ゴルフの遼君こと石川遼は19歳、
サッカーのドイツ・ブンデスリーガ・ドルトムントの香川真司は21歳、
女子陸上・短距離の福島千里は22歳、
女子体操の田中理恵も22歳、
そして、野球の斎藤佑樹と田中将大は22歳だ。

みんなこぞって平成生まれである。
来年以降もどんどんと若いアスリートが台頭してくるに違いないが、
彼等に共通するものは、ただひとつ、「プレーを楽しむ姿」である。
イコールそこに生まれて来るであろう『プレッシャー』を「楽しむ姿」でもあるのだ。
『プレッシャー』を受ける喜びを『光栄』に感じて、
それといい関係を築いて行こうとしているように見えてならない。だから、実力通りいや実力以上の結果をもたらしてくれる事もしばしばである。
さらにいえば、彼等のコメントには悲壮感もなければ奢りもてらいもない。
そこにあるのは、自分の力を信じる決意だけなのである。
だから、誰のどのコメントにも好感が持てるし、
気持ちがよく、爽やかな気分を生んでくれる。

しかしそこには、
人間離れをしたような「何か不思議な感覚」を感じる事もしばしばあるのはなぜだろうか?

彼等平成生まれの、親達はといえば、多くがバブル世代である。
モノも溢れ、情報も溢れ、自分の好きなモノを選択出来た世代。
とともに、個性的な自我を主張することによる「いじめ」や「なかまはずれ」を嫌う余りに、
みんなと一緒であることを好んだ世代。「とりあえず」のことばを喜んで使った世代。
みんなと同じ事をしてみんなと同じようにして来たからこそ生まれる
「自我」
そして
「自分の位置」
「客観性」
そんな世代が産んだ子供が、平成一桁世代であるのだ。
「ゆとり教育」という時代で学んだ世代は、自分の中の自分の可能性を早くから見つけ出して、将来の自分の生きるレールを早くから引き始めたのかもしれない。
そしてそこには「戦う」という決意よりも、「楽しむ」という決意を携えていたのだろう。
誰の力も借りずに自分の力で生きる為に。

しかし、彼等のように一芸に秀でた優秀なアスリート達と同世代の、一般的な生き方をして来た、大学四年生や、高校三年生の今年の就職は異常なまでに厳しく過酷なのである。
もはや彼等就職難民の世代は、『プレッシャー』の概念を遥かに超えてしまっている所に追いやられている。
この正反対の現実を一言で語る事は容易ではない。
この大きく異なる人生を形作ってしまった要因はどこにあるのだろうか?

『プレッシャー』を受けない世代と『プレッシャー』の意味が違ってしまった世代は、同世代である事には違いない。バブルな時代は所詮バブルだったんだと知っている親が、はじけてしまったポストバブルの世の中から学んだ事は果たして何だったんだろうか?
今という構造的な『不況』な時代が、バブルがはじけた後遺症を依然と残している事は否めない事実でもあるのだから決して無関係ではないと思うのだ。

成功を遂げているアスリート達は、幼い時から他人と違う生き方を自分で何となく模索していたのだろうか?それともその親達がそれを誘導していたのだろうか?
みんなと同じ事をしていたんじゃバブルではない時代を生き抜く事は出来ないという事をさりげなく教示していたのだろうか?

皆揃って烏龍茶を飲み、ボディコンファッションで身繕いをして、皆で聖子ちゃんカットをして、女子大生が街を闊歩していた時代、ブランド品で着飾って、朝まで街が煌めいていた時代、誰もがいつまでもこんな時代が続くと信じて疑わない時代、そんなバブリーな時を駆け抜けた世代の親達を持つ平成世代は、一番の受難の世代になってしまった。

『プレッシャー』を考える時、
それがない世代が存在する事こそが、異常で恐るべき事なのかもしれない。
人間の自我は他者の存在によってこそ育まれ確立して行く事がごく当たり前の摂理であり、そこには他者との戦いと調和の繰り返しの歴史があり、自分以外の物を意識する『プレッシャー』が必ず横たわっていてしかるべきなのだと思う。
傷みや喜びなどあらゆる感情が起こってこそ、
情感豊かな人間性が育って行くのだから。

『プレッシャー』のないアスリート達も、
『プレッシャー』の持てない未就職の学生達も、
健全な『プレッシャー』を感じる環境が必要だと考える事は、あながち間違っていない事だとは思うのだが…。

この件はまたゆっくり考えてみようとも思っている。

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2010年12月10日 (金)

今年の漢字、ドラゴンズは『惜』?

今年の漢字が決まった。『暑』である。

この漢字は、ついついその決定の仕組みを忘れてしまうのだけれど、日本漢字能力検定協会が公募で選ぶ漢字である。
ということは、国民の多くが今年を表すに相応しいと思っている漢字なのだろう。

最近では「あなたにとって…」といった形でそれぞれに「今年の漢字」というのを聞いたり書かせたりする場面も多く、それはそれでとても意味があることのように思ったりもするわけだ。

百人には百通りの「今年の一文字」があり、
千人には千種類の「今年を象徴する漢字」があるのだろう。
さしずめドラゴンズにとっては
『惜』
で落合監督にとっては
『不』
落合家には
『寿』
なのだろうか?

我社シー・オーグメントにとっては
『並』
で、僕は
『耐』
だろうか?

それにしてもこの一文字表現法は、
なかなか頭を使う作業ではあるなあと感じる12月10日ではある。

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2010年12月 8日 (水)

不遜を極める、梨園のプリンス

温かい冬の日が続いている。
この一年はとにかく異常な気候から抜け出す気配がない。
いつまで続くのだろうか、この暖冬な日々が…。

さて連日、自業自得とはいえ、大切な新春興行を中止しなくてはならないほどの大怪我をさせられた、梨園のプリンス・海老蔵報道でテレビも新聞も満載である。
昨晩は、異例の『お詫び会見』が行われた。何でも集まった報道陣の数は500人を超えたらしいから、この騒動への注目の大きさも桁外れであることは間違いない所だ。
そもそもこの事件には謎が多く、加害者とされている男に逮捕状が出されているにも拘わらず10日以上過ぎてもまだ姿を現さない事も不可解である。
報道が様々伝聞の嵐で過熱して真実や事実がどんどん闇の中に入り込んでしまっている。そのタイミングでの突然開かれた『お詫び会見』。その九十分を超える会見では矢継ぎ早にレポーターやら記者やらの質問が間断なく続いた。
ひとつひとつ丁寧に全ての質疑に答える海老蔵もなかなかの根性ではあったが、冒頭

「今回の事件は全て自らの『おごり』が招いたもの…」

という真摯な物言いからは、段々と掛け離れていく、
「自分はあくまで被害者で、全く悪くない」
的な、受け答えには辟易してしまうのだ。「自分のおごり」が招いた事件ならば、自分には非がない事はない事を、誰もが感じている事は紛れもない事実である。
『お詫び会見』ならぬ『潔白会見』には、がっかりしたし、このプリンスもどきの若造の『甘えの構造』しか見えて来なかった。肩で風を切って夜の帳を闊歩する『芸』は要らないのだ。

本当の強さは、ストイックなまでの自己管理がなされてこそ
初めて造られるものなのである。

永きに渡ってちやほやと甘やかされて来た
『自称・人間国宝の雛鳥』
は、もはや行き場すら見失ってしまっているようだ。
33歳、まだ若い。ファンあっての伝統芸能である事を、
もう一度虚心坦懐の思いで出直して貰いたい。
人並み外れた才能を『酒とおごり』で、無意味なものにしてほしくないと思うのだ。

不遜を極めてしまっている梨園のプリンスとは、対称的に北のプリンス・斎藤佑樹は、一昨日爽やかに日本ハムの入団会見の場に現れた。
契約金に話が及ぶと、ゼロの数え方が判らなくなってびっくりしました、と茶目っ気たっぷりのトークで周りを笑わせていたのが印象的だった。
このアマチュア野球のプリンスが社会に出て、本当の北のプリンスになるのにはまだまだ遠い道程かもしれないが、天から与えられた才能を持った人間にはその人なりの責務があるのだと思うのだ。

二人のプリンスの対称的な姿に、
人間の生き方の難しさを改めて感じてしまう今日である。

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2010年12月 2日 (木)

ゲゲゲでととのわない一年

師走になった。

年末恒例の流行語大賞も発表された。

『ゲゲゲの~』が大賞になった。

思えば昨年の『政権交代』の語句が今やとても影薄く遥かな夢幻の如き惨状に、この『流行・・・』という言葉の持つ移り変わりの速さとはかなさを感じずにはいられない。

史上最低の内閣になりそうな様相の『菅内閣』が、
支持率1%になっても辞めないと言ったとか言わないとか、
もはや権力の座にしがみつく事しか考えていないような総理大臣にやがて来る必ず来る、新しい一年を託していいものだろうか?と、悩み困ってしまっているに違いない我々日本国民は、それぞれが今何を考えているのだろう?

本当に今年は、
A(あれれれ?)
K(困っちゃった!)
B(馬鹿じゃないの?、)
4(四苦)
8(八苦)
で、ととのわなかった、
ゲゲゲな一年だったから、
来年こそもってる一年にしなきゃって思ってるなう
って感じの年になったように思える師走の始まりである。

先月も今月も何かと慌ただしく忙しいけれど、一年の締め括りとして色々考えながら過ごして行かなきゃと考えている所だ。

プロ野球も各チーム様々補強が始まっている。
我がドラゴンズは、契約更改の悲喜こもごもが色々と報じられている。

落合監督も珍しく色んな場所で沢山話をしているようだ。
先日のOB会では、
「来年は私にあまり優しい言葉はかけないで下さい。どんどんキツーイ事を言って下さい。それをエネルギーにして頑張って行きますのでよろしくお願いします・・・」
と語ったらしい。
オレ流は極めて健在という所だが、愛息フクシ君も結婚することだし、益々揺るがなく強いドラゴンズというチームを完成して欲しいものです。

師走の戯れ言でした。

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