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2011年5月11日 (水)

我が師・いずみたくの20回目の命日に寄せて

今日5月11日は、我が師・いずみたく氏の20回目の命日だ。

19年前、1992年5月11日に62年の生涯の幕を閉じた。

余りにも早い死ではあったが、余りにも濃い62年の人生だったと思う。

1975年11月から先生の弟子として傍らに仕えた僕は実に沢山のことを学び覚えた。
これといって教えてくれたことは特にはなかったが、その語りや、その情熱や、ひとつひとつの所作に、いちいち溜息が出てしまう位に驚き畏れ入ってしまう僕がいた。

一流の芸術家の姿を先生の背中越しに何度も感じることができ、自分の数十年後の姿に夢を馳せることもしばしばだった。

今僕は、志半ばで逝った我が師・いずみたくの魂を継承すべく人生を送りつづけている。
その芸術家たる貫禄からはまだまだ遠い所にいるが、
『情熱』だけは負けないと自負している。

この季節、師匠から引き継いだ『アンパンマン』の夏休み恒例の映画音楽の作曲に追われているが、今朝、雑司ヶ谷に眠る師の墓参りに行ってきた。

19年前、先生が亡くなった時、
僕は辞世の曲『すすめ!アンパンマン号』の編曲を仕上げてその録音に向かっていた。
死に直面して書き上げたこの勇壮な歌は今も愛され続けている。
師の最後の『叫び』がこの歌に込められていると思うと奮えが止まらない。
その『叫び』をまさに僕は継承して行かなければならないと思っている。

今朝早朝のテレビ番組『やじうま~』の「今日という日」というコーナーで
偶然にも、いずみたくを偲んで特集をしていた。
命絶えた後も名曲の数々が燦然と輝きながら残され、
歌い継がれている師の凄さを紹介していた。

僕が弟子になった翌年から始まった『徹子の部屋』のテーマ音楽の誕生秘話も黒柳徹子さんによって語られていた。
先生の念願の小劇場「アトリエフォンテーヌ」がオープンしたのも、1976年だったし、
『徹子の部屋』が始まったのも同じ年だった。
その劇場のこけら落しの演目が、ちょうど黒柳徹子さんとオペラ歌手の島田祐子さんの、二人ミュージカル『二重唱』だったことから、このミュージカルのテーマ音楽を『徹子の部屋』のテーマとしても用いたのだった。
そして他でもないその編曲は僕の処女作品だったのだ。
師匠の話を語る機会もそんなに多くはないが、今日は語り尽くせない師とのエピソードの中から、このブログに紹介させて貰った。

さあ、『叫び』を胸に、心新たに映画音楽の作曲に臨もうと思っている。
我が尊敬する師の魂に…   合掌

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