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2016年9月 9日 (金)

持ってる力が同じなら、どうすべきか?

◇9/8…マツダスタジアム
広島 7ー4 中日

6勝15敗1分、これが昨日現在の対広島の戦績である。

優勝を目前にした選手達のモチベーションと、25年間忍耐と我慢を強いられて来た広島市民が今やっと手の届く所まで来た歓喜を掴もうとする大声援で、ドラゴンズは木っ端微塵に粉砕され3連敗を喫した。

前述した通りの大差の対戦成績になってしまった原因は一体何だろうか?
森監督代行は、昨夜無惨な3連敗を喫した後、力の差自体はそれほどあるとは思わないが…と述べていたが、果たして本当にそうだろうか?
確かに安打数もチャンスの数も同じようにあるし、投手陣も左程悪い投球をしている訳ではない。
では何が違うのか?
「あと一本が出ない」と良く聞くが、得点圏の打率が違っているのかもしれない。
同じようにミスもするが、その相手のミスにつけ入る事が出来るか出来ないかによっては大きく変わって来る。
広島のミスは失点に繋がらないが、中日のミスは失点に繋がってしまうのかもしれない。

このように書いて行くとキリがない。
力の差自体はそれほどないという事は、こういう、あと一本が出るか出ないかとか、相手のミスにつけ入る事が出来るかどうかも全て含めて「力」なのではないだろうか。

そしてこの差は何処から生まれているかと言えば、間違いなく「集中力」の差であると僕は思う。

一つのボールを18人の選手が、投げて打って追い掛けてホームを踏む数を争うのが野球である。
この一つのボールに対しての「集中力」の違いがそのまま得失点差に現れて来るのである。

走攻守の全てに対しての「集中力」が広島の選手と中日の選手とでは違いすぎたのではないだろうか。

常に走者は先の塁先の塁を目指していただろうか?
常に打者は配球を読み、更にどのような球にも喰らい付いて行く気持ちを持ち得ていただろうか?
そして、常に野手は無駄のない動きで注意深く走者を見て、すきあらば刺す、ましてはダブルプレーは必ず取るという俊敏さを心掛けていただろうか?

当然の事だから、心掛け、目指し、常にアグレッシブでいようとしていたに違いないだろう。
でも、あまりいい答えが出なかったという事はやはりその「集中力」が不足していたと言われても仕方ないと思う。
試合開始からゲームセットまで変わらぬ「集中力」を持続出来る精神力をこのオフには養って貰いたい。

広島の丸も菊池も田中も、彼らはプロに入ってから飛躍的に成長した選手の代表である。
眠っていた能力を磨き、誰にも負けない練習量で自信を付けて行ったと聞く。
下手くそは人の何十倍も何百倍も素振りをし、ノックを受け、ダッシュを繰り返すことしか他人を追い越す事は出来ないと思っていただろう。

持ってる力自体に差がないのなら、その持ってる力を2倍に3倍に10倍にする努力が求められるのではないだろうか。

今年の惨めな悔しさをバネに、ドラゴンズの若手選手の全てが劇的な飛躍を遂げられるように期待したいのだ。

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